◇ 鬼はかつて 神であった

 節分とは雑節のひとつで季節を分ける節目です。

 七十一候では節分は春の兆しを感じる立春の季節で、冬から春への変わり目の行事として執り行われます。

 それは人間の身体にとっても寒い冬の間に溜まり、滞った毒を排出するために執り行われる行事だったのかもしれません。

 節分では「鬼は外、福は内」の掛け声とともに豆をまき、鬼を外に出し、福をうちに取りこむ……こうした《鬼儺おにやらい》の行事によって除災招福を願います。

 それでは人々に忌み嫌われた《鬼》とはいったい何なのでしょうか?

「  」

 大陸(中国)における鬼の概念は、死霊や生霊です。
 つまり人間そのものの魂や心にひそむ悪的想念が悪霊と化し、人に災いや病をひき起こす忌々しき存在となったものを《鬼》と呼称します。
 しかしながら、古代弥真十やまと(日本(*1))における鬼の概念は中国とはまったく違うものでした。

 弥真十やまとでは「鬼はかつて 神であった」と言います。
 鬼の語源は「おん
 後に「おに」に転じたと考えられています。

おん」とは「隠れたもの」そして「まつろわぬもの」という意味です。すなわち、歪んだ体制の権力、勢力に恭順せず、ひそやかに暮らすものを表します。
 そして「隠」とは人智を超えた能力を持ち、卓越した叡智を携えたものであったと伝えられます。

 かつて 人々はそうした「おんのモノ」を「神」と呼び、あらゆる智恵を授かりながら、穏やかに暮らしていました。
 神と人がともに暮らしたまほろまの国です。

 しかしながらそうした人智を超えた力と叡智を恐れた時の支配者によって、まほろまの国は滅ぼされました。そして大陸の概念である「鬼」が日本に渡った時、「おん」は「鬼」と同一のものとされ、「神」は「忌まわしき鬼」とされてしまいました。

 日本各地に今も伝承として残る「鬼退治の伝説」とはかつての神討伐の悲しき歴史の伝承にほかなりません。
 神を鬼と成し、誤った伝承を伝え続ける歴史の闇……これを私は「神殺しの歴史」と呼びます。
 そうした神殺しの歴史を経てきたゆえに、現代の日本はあらゆる不条理を抱えているのでしょうか。

 鬼は神であった

 よって私達家族は節分を《迎鬼奉げいきまつり》と呼び、鬼という異名を与えられしいにしえ弥真十やまとの美国を統べられし元津もとつ神々様をお迎えするべく細やかながら御赤飯を炊き、鬼と疎まれし神の奉りを年ごとに執り行っております。

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                                                 調理:旃檀

 隠神おに様に少しでもお慶びいただければ、幸いでございます。


◇ 節分とは神と鬼の分かれ目

 節分とは季節の節目ですが、神と悪鬼あっきとを振り分ける境でもあります。
 みずからのうちなる「鬼」が大陸の概念に基づいた悪想念からなる「鬼」なのか。
 それともうちなる「神」であるのか。

 みずからでみずからを審神さにわする。

 人生の大きな節目でもあります。

 最後になりましたが、鬼に関する御天文をひとつ、掲載させていただきます。


(*1)
 弥真十
 古の日本のこと。
 神(|)と人(―)がともに弥栄える真の国の意。 



真神まことがみの力 恐るるがゆえ
鬼の汚名着せし 封印せしめし成り

スサナルの神 いにしえの神

額 角ゆるがため
鬼 作りし
北東に閉じ込めし成り


北東はうしとら
牛の角 持て 寅の衣まといて 鬼と呼びし成り

この角 頭部に出でし
知力の角 神力しんりきの角なるぞ

神 直流ちょくりゅうのおしるし成り

頭角あらわすを恐るるがゆえぞ

真清水ましみずあふるる地の神々 見てござれ

角 生ゆるをしるしと成す

我が意 知るぞ


《 無名 》


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