あなたがいてくれてよかった
それは人と人とのことだけではなく
お預かりしている大地からも
言ってもらえる自分になりなさい
「あなたが住んでくれてよかった」
万象にそういってもらえるように
それが大地との誓約だよ
《 魁言 》
◇ 天地は所有するものではない
空は誰のものなのか。
海は誰のものなのか。
大地は誰のものなのか。
人類は天と地に境界線を敷き、都合のいい制約のもとにそれぞれの所有物とした。その不確かな境界線をめぐり、いまもなお、争いが続いている。
…………
今も世界の何処かで引き起こされている戦争は、こうした大地の奪いあいから端を発しています。
人類の誕生以降、こうした戦争が繰りかえされ、いまなお、戦火が絶えることはございません。
地球は、誰のものなのか。
天地は人が所有するものではないと、魁は語ります。
金銭を支払い、購入した土地であっても、大地は"大地のもの"である。人はそれをお預かりさせていただいているにすぎない。
なぜならば、それはいつかはかならず、おかえしするものだからです。
預かりものを壊してしまったり、よごしてしまうのはとても失礼なことです。
これは人と人の関係でもそうですね。
あなたが友だちに貸した物がぐちゃぐちゃに壊された状態でかえされたら、どんなきもちになるでしょうか。
それは金銭もまた、しかりです。
金銭とは人類が造りだした概念ですが、給与とは時を割いて得る物です。時とは命でもあります。
"生きた銭"としてつかわせていただくことが、銭を循環させることに繋がります。
それは節約とはまた違います。
購入しようとしているものがみずからにとって価値のあるものか。不要なものか、必要なものか。働いた時=命に値するものかどうか。分別することが重要です。
安い物であってもつかわない物ならば、それは銭を捨てるのと同じ。ですが、暮らしに潤いをもたらし、心に華を添えるものならば、身の丈にあったぜいたくをするのもまた銭を活かすことに繋がります。
銭を活かす。
それは銭を稼ぐために頑張ったみずからの命=時を活かすことです。
家を建て、庭を創る。それもまた所有しているわけではありません。よって私達はいつでもおかえしできるよう、家を掃除し、庭を綺麗に整えています。
現在、私達家族が天地から預かっている家も庭も、集ってくださっている方々との共有の場となっています。
残念ながら、老いてしまった私達には重い石を運び、土を掘り、庭を整えるだけの体力はなくなってきました。ですがこうした考えに共感し、集ってくださる若い方々の力をお借りして、木々を剪定し花を植えていただいております。そのおかげで春には若葉が青々と芽吹き、夏には小滝に清らかな水を流れ、季節ごとに花々が咲き誇る美しい庭が維持されています。
私達はこうした御助力に感謝の念が絶えません。
写真:庭
◇ みんなの家
森にかこまれた別荘があります。
この別荘は随分と前に私達家族が購入したものですが、私達家族が使用することはほとんどございません。
これもまた、同じ想いを持つ御方との共有の場であると考えるからです。
以前私がハンドヒーリングをさせていただいていた頃は遠方から御越しになり、長期滞在を望まれる御方もおられました。そうした時、この別荘を何ヶ月でも無償でつかっていただいておりました。
現在、宇宙も地球もとても不安定な状態です。
世界中の異常気象をみておりますと、いつ何が起こるかは予想もつきません。有事の際には集っておられる方々が寝泊まりできるように、と魁は絶えず家の整備を怠らず、老朽化した備品などがあれば取り替え、維持し続けています。
「あなたがいてくれてよかった。
あなたが住んでくれてよかった」
家を掃除し、御借りしている大地を汚さぬように整備し、そして笑顔に満ち、よき会話をかわせるような家を創る。
それが天から恩を賜り、この大地に住まわせていただいている私達人間の天にたいしての礼節であり、理であると私達は考えるからです。
写真:魁
私達は何も所有していない。
ですが、所有していないがゆえにすべてを賜っている。
だからこそ心を寄せてくださる御仲間の皆様とともに、天にむかって生きていけるのだと、魁は今日も清々しい笑顔で語るのです。
旃檀
それは人と人とのことだけではなく
お預かりしている大地からも
言ってもらえる自分になりなさい
「あなたが住んでくれてよかった」
万象にそういってもらえるように
それが大地との誓約だよ
《 魁言 》
◇ 天地は所有するものではない
空は誰のものなのか。
海は誰のものなのか。
大地は誰のものなのか。
人類は天と地に境界線を敷き、都合のいい制約のもとにそれぞれの所有物とした。その不確かな境界線をめぐり、いまもなお、争いが続いている。
…………
今も世界の何処かで引き起こされている戦争は、こうした大地の奪いあいから端を発しています。
人類の誕生以降、こうした戦争が繰りかえされ、いまなお、戦火が絶えることはございません。
地球は、誰のものなのか。
天地は人が所有するものではないと、魁は語ります。
金銭を支払い、購入した土地であっても、大地は"大地のもの"である。人はそれをお預かりさせていただいているにすぎない。
預かっているということは、借り物であるということ。
それはみずからが働いて得た金銭も、そして現在生かされている自分の命もまた同じである。いずれも所有する"もの"ではないと、魁は語ります。なぜならば、それはいつかはかならず、おかえしするものだからです。
預かりものを壊してしまったり、よごしてしまうのはとても失礼なことです。
これは人と人の関係でもそうですね。
あなたが友だちに貸した物がぐちゃぐちゃに壊された状態でかえされたら、どんなきもちになるでしょうか。
それは金銭もまた、しかりです。
金銭とは人類が造りだした概念ですが、給与とは時を割いて得る物です。時とは命でもあります。
"生きた銭"としてつかわせていただくことが、銭を循環させることに繋がります。
それは節約とはまた違います。
購入しようとしているものがみずからにとって価値のあるものか。不要なものか、必要なものか。働いた時=命に値するものかどうか。分別することが重要です。
安い物であってもつかわない物ならば、それは銭を捨てるのと同じ。ですが、暮らしに潤いをもたらし、心に華を添えるものならば、身の丈にあったぜいたくをするのもまた銭を活かすことに繋がります。
銭を活かす。
それは銭を稼ぐために頑張ったみずからの命=時を活かすことです。
家を建て、庭を創る。それもまた所有しているわけではありません。よって私達はいつでもおかえしできるよう、家を掃除し、庭を綺麗に整えています。
現在、私達家族が天地から預かっている家も庭も、集ってくださっている方々との共有の場となっています。
残念ながら、老いてしまった私達には重い石を運び、土を掘り、庭を整えるだけの体力はなくなってきました。ですがこうした考えに共感し、集ってくださる若い方々の力をお借りして、木々を剪定し花を植えていただいております。そのおかげで春には若葉が青々と芽吹き、夏には小滝に清らかな水を流れ、季節ごとに花々が咲き誇る美しい庭が維持されています。
私達はこうした御助力に感謝の念が絶えません。
写真:庭
◇ みんなの家
森にかこまれた別荘があります。
この別荘は随分と前に私達家族が購入したものですが、私達家族が使用することはほとんどございません。
これもまた、同じ想いを持つ御方との共有の場であると考えるからです。
以前私がハンドヒーリングをさせていただいていた頃は遠方から御越しになり、長期滞在を望まれる御方もおられました。そうした時、この別荘を何ヶ月でも無償でつかっていただいておりました。
現在、宇宙も地球もとても不安定な状態です。
世界中の異常気象をみておりますと、いつ何が起こるかは予想もつきません。有事の際には集っておられる方々が寝泊まりできるように、と魁は絶えず家の整備を怠らず、老朽化した備品などがあれば取り替え、維持し続けています。
「あなたがいてくれてよかった。
あなたが住んでくれてよかった」
家を掃除し、御借りしている大地を汚さぬように整備し、そして笑顔に満ち、よき会話をかわせるような家を創る。
それが天から恩を賜り、この大地に住まわせていただいている私達人間の天にたいしての礼節であり、理であると私達は考えるからです。
写真:魁
私達は何も所有していない。
ですが、所有していないがゆえにすべてを賜っている。
だからこそ心を寄せてくださる御仲間の皆様とともに、天にむかって生きていけるのだと、魁は今日も清々しい笑顔で語るのです。
旃檀
コメント
コメント一覧 (4)
大地からもあなたがいてくれてよかったと言ってもらえる。
考えたこともありませんでした。その割には、家を建てるとき地鎮祭をしたりします。お願いばかりです。
一回やっとけばいいや、と何も考えずにしきたりに従っており、そして2度と思い出すことも感謝することもなく、義務的に掃除したり修繕したりしています。矛盾を感じました。
お金という代償を払っているのだから、自分の物、としか思っていませんでした。
共有物、というのも、それに対する義務が発生するので、違う気がします。
所有には、支配のイメージがありますが、預かりものとして考えると、魁さんの言葉からいたわりだったり、感謝を感じます。
魁さんの言葉には、全てに対するあたたかい想いに溢れていて、ほっとします。
素晴らしい御庭の写真も掲載いただき、本当に美しいです。
暖かくなったらさぞかし美しくなるのでしょうね。
全国的な寒波で、寒い中、美しい写真にうっとりしました。
旃檀:センダン
がしました
土地も畑も、石も草も生きていて意思を持っています
心を寄せれば花も又よりきれいに咲いてくれる様に、大地も同様と私達は考えます
土地には大地を統べる土地の神様がおられ、あくまでも私達人間はその場をお貸し頂いているに過ぎませんね☺️
所有…とは、人がこさえた勝手なる欲によって生まれたものですね
銭も又同じく、所有や銭のある無しでその人の価値が決まってしまう様な世界です
でも…天を仰いで、よくよく考えれば海も大地も空も誰のものでも無いはずです
虫や獣たちは人間以上にその自然摂理を心得ています
この世界に生きる為に必要なものをお借りしていると考えれば、この世界から離れる時にそれらを綺麗にして全てお返しする事は条理ですね😊
それが金銭であれ、土地や家であっても同じです
住まわせて頂いている大地を汚さぬ様に大切に使わせて頂く、そして与えて頂いている命を恥じぬ様に人として精一杯生きる
それこそが人の天に対する自然たる理であり、神法です😊
私達はそう考えます
旃檀:センダン
がしました
天地は所有するものではない。
魁さんは本当に一切の所有がないんだなと深く思いました。
これもあれもと自分の所有物としていくと、所有していないものがどんどん目に入ってきてしまいます。
時も同じで、自分のものと思っているから、自分の利益になるかならないかで時間を使ってしまいます。
所有は執着を生みます。しかし、全てお預かりさせていただいているということを知ると、自然と感謝の心と愛着が湧いてきます。
普段の生活から、「今、この状態で天にお返しできるのか」と、自分に問い続けていくことで、少しずつでも、"活かす" ということができるのだろうなと思いました。
旃檀:センダン
がしました
陸斗さんのおっしゃる通りですね😊
時を自分が所有していると思っているから、人は時を銭に変える事に一生懸命になります
この世では銭は労働という[時]を使う事で自分のものとなる…そういうシステムで成り立っているからです
ゆえに銭に変わらない時は〔無駄な時間〕という認識があります
それもまた所有という欲から生まれた物でしょう
しかしながら、全てを自分の所有物と考えなければ、銭に変わらない時間も貴重です
銭に変わらなくとも自分自身を伸ばし成長させるための時を過ごす事は出来るからです
その為にはお預かりさせて頂いている〔時〕や〔銭〕をどの様に有意義に又、大切に使わせて頂くかが一番重要になってきますね
それこそがお預かりさせて頂いている全てを活かす暮らしを立てる方法へと繋がっていくのではないでしょうか😊
旃檀:センダン
がしました