しいことじゃないよ
人が泣いていたら 泣いてあげなさい
  手が冷たかったら 暖めてあげなさい

ただ それだけでいいじゃない!

そんなに難しいことじゃないよね

それが神と和すること
     ただ それだけだ

困っている人がいたら
  みんなで千円ずつ集めれば 役に立てる

利害があってはいけないよ


《 魁言かいごん 》





◇ 騙されているのはわかっていた

 42年前の昔、こんなことがありました。

 丁度、年末頃の話です。
 その頃は京都で喫茶店を経営しており、若い御客様が集い、音楽を楽しむ皆の憩いの場となっておりました。そのなかの常連のひとりの男性が年の瀬に思いつめた様子でお越しになられました。

「どうしても年末までにまとまったお金が必要で……支払いができないと命の危険がある。マスター、どうか助けてほしい」

 彼は何度も頭をさげられましたが、若い私達にそのような大金があるわけもなく……特にその時は仕事のために新車を購入したばかりだったのもあって、年を越すのにわが家には現金が2500円しかありませんでした。
 どうしたものかと考えていたところ、魁は不意に二階の自宅にあがっていき、買ったばかりの新車の鍵をもってきました。

「これ、売れば、まとまった金になるから」

 魁はそういって、迷うことなく車の鍵を彼に握らせました。

「俺には、ほかに何もないから」
 
 車がなければ買い物にも動けない山手に住居がありましたので、魁は彼が帰った後、すぐに知人に頭をさげ、なけなしの貯金をはたいて五万円の車の手配を頼みました。

「車なんて動いたらなんとかなるから。それよりもあいつの役にたってやれて、ほんとうによかった」
 
 魁は満面の笑みで嬉しそうに頷いていました。

 ちなみに八ヶ岳への引越しはその5万円の車でした(笑

 鍵を受け取った彼はそれっきり消息を絶ち、音信不通となりました。
 なにかあったのではないかと気にかけておりましたが、その時に始終をみていた他の常連さんがしばらくして「彼を見つけた」と連れてきました。
 ……どうやら彼は車を売却した御金で、彼女と一緒にスキー旅行を楽しんでいたそうです。
 命の危険がある、というのはまっかな嘘だったのです。

 彼は魁の顔をみると真っ青になって、
「マスター、ごめんなさい」……と土下座。

 そんな彼の姿をみて、魁はひと言。

「おまえ、腹は減っていないか?」

 彼はただ頭をさげ続けていましたが、魁は「わかった」といって、「すぐにおにぎりをつくってやって」と私に頼みました。
 彼は差しだされたおにぎりを涙ながらに食べ、魁は穏やかに微笑みながら最後まで黙って、それをみているだけでした。その後、返金などの話はいっさいなく、すべてが終わりました。
 
 そんなことが何度も、何度も、ありました。同級生から御金の無心の電話がかかってくれば、魁は「わかった、明日すぐ送るからね」とこころよく送金。もちろん、相手はそれきり、なしのつぶてです。

 魁はいいます。

「99%騙されているのはわかってるけどな、もし残りの1%、ほんとうにこまっていたらどうする?」

 私は……ああ、このひとはすごいな、とおもいました。なるほど、物事とはそう考えるものなのか……そして、確かにそれは正しい。 

 人を見捨ててしまい後悔するよりは、人を助けて後悔するほうが、まだ取りかえしがつく。


 誰かの喜びは私たちの喜びでした。
 それとおなじくらいに誰かの哀しみは私たちの哀しみで、それゆえに私たちにできることがあるのならば、その時できるかぎりのことをしたいと想い、動き続けてきました。
 ですが、それはけっして綺麗事ではなく、ひとつ間違えば、破産。命を落とす危険もありました。


 建てたばかりの家を友人にだまし取られたこともありました。
 私がいちから設計し、床の色は画家だった私が絵の具をまぜあわせて微妙な風あいまで指定し、天窓、レンガ造りの洗面や暖炉を模した暖房器具の洋風の設置場所、玄関のエントランスは八角形の半分のかたちにしてもらい、特注のステンドグラスのドアを取りつけ……夢と想いをこめた家でした。
 

 その時は悔しさもありましたが、それでも最後には夫婦ふたりで笑いながら語りあいました。

「人を騙すよりも騙されるほうがいい」
「お金はまた、ふたりで働けばなんとかなる」

 私達はこうして「目に見える損」を重ねてきましたが、そのなかで「目に見えぬ徳」を得てきました。

 それが仁徳という「徳」です。



◇ "仁徳"というもの

 人徳と仁徳、そして人望。
 人徳は産まれもった誠実な気質のこと。仁徳は他人にたいする慈愛のことです。これは違うものですが、根底にあるものはひとつ。
「あなたはわたし」と想い、他人に寄りそえるかどうか……だと、私はおもっています。

 そして私が昔から知っている"魁"という人物は、そのような徳を備えたひとです。

 苦も楽も分かちあい、よきところを認め、道を踏み外しそうなときには叱る……それこそが人徳であり、仁徳です。

 それを一貫して続けてきたからこそ、現在、魁のまわりには彼を慕い、彼の語りを聴きたいと望む御方が大勢集まっています。

 人生とは不思議なものです。そして人と人との縁もまた然りです。絶たれてしまう縁もあれば、どこかで結ばれる縁もあります。

 冬に雪が降れば、雪かきにかけつけてくれる御方。春から秋にかけては庭を整えてくださる御方がおられ、重いものを運び、家の修繕をしてくださる男の子たちがいれば、花を植えてくださる女の子たちもいます。
 御逢いした時にはまだ生まれたばかりの赤ん坊だったり、小さかった子どもたちも、いつのまにか成長し、若い力を寄せてくれています。

 それもまた、魁の人徳という「徳」のひとつ。

 そうした「徳」こそが魁という御方の"本質"であるのです。


 この話は損をして、得、あるいは徳を得なさいということではありません。人と人の関係においては損も得もあらぬもの。「損も得もない」と想い、動いた結果「徳」が産まれたということです。


 新たなる時代とは上下関係や損得の関係で築かれ、動くものではありません。心と魂と、動じたいという想いによって動きはじめるもの。ゆえに魁の生き様は"宇宙摂理そのもの"なのです。

230101
                                                    画:旃檀 写真:魁

  ……魁は語りかけます。

「人が泣いていたら 泣いてあげなさい
  手が冷たかったら 暖めてあげなさい」と。

 旃檀


 
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