◇ 着物はその人の人生を刻む


 日本の伝統工芸である着物は、昔からただの服ではなく、日常と非日常に寄りそう大切なものとして扱われてきました。
 職人の手を通し、歳月を掛けて複雑な工程を踏み、ひと針ひと針に魂を吹きこむように制作された一枚の着物。技術の粋を結集して仕立てられた着物は、纏う者にとっても愛着という心を寄せる大事なものでした。

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 前回に引き続き、衣の御話をさせていただきます。


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 量産という概念がなかったその昔、職人の手掛けた"着物"は非常に高価なものでした。
 明けて正月にあわせて着物を新調したとか。
 着物を買い換える余裕のない御家では大晦日頃には卸したての白足袋を水に浸け柔らかくしておき、足袋だけでも真っ新なものにして、新たな年をお迎えいたしました。

 男性の衣は「ついたて」で着るため、妻が反物からひと針ずつ手縫いで仕立てたことも多かったようです。
 
 あるいは晴れ着……
 御両親の喜びの心に華やいだ成人の儀の衣装、婚礼の祝衣や打掛……あらゆる人生の節目には着物がありました。
 こうした衣はその御方の人生に寄りそい、《ハレの日》を彩って参りました。


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故岡崎節子さま婚礼衣装 黒地雲波に鶴柄裾引き婚礼用振袖
                               金地宝相花模様袋帯 鳳凰結び 

 しかしながら着物が寄りそうのは、祝いごとの時ばかりではございません。
 日本の女性たちは日常の中でも身支度を整え、子を背負い、菜を洗い、竃に火を起こし、飯を炊き、食事を作って参りました。それは日常(ケ)ではありながら、つつがない一日は振りかえってみれば、すべてが《ハレ》だったのではないかとおもいます。
 

 そうして時を経てきた衣達には、
魂を宿すものがあります。

   「衣には魂が依る」
 これは古代中国の思想ですが、実際に人が肌身離さずに纏い続けてきた着物には魂が宿ります。袖を通しておられた御方の霊魂であったり、憑喪神のような"着物そのもの"の魂であったりしますが、私は総じて《霊衣たまごろも》と御呼び致しております。

 私は現在着物愛好家であり、収集も致しておりますが、そうした着物に宿る御霊みたまの御声を聴き、ソウルヒーリングをさせていただくために収集をはじめたといっても過言ではございません。


 過去には、このようなことがありました……


 故郷帰りの京都で何軒かまわった着物屋さんで、何度も同じ着物を御見掛けしたこともありました。持ち帰らせていただいた後、チャネリングを通して御便りを賜り、染師そめしの御方が染められた衣であることが解りました。
 その後、時を経て色褪せてしまった着物は、艶やかに甦りました


 ▼ 実体験の詳細はこちらからご一読いただけます ▼


 血で濡れたような赤黒い御花の手書きの衣もございました。こちらもソウルヒーリングの後に赤黒かった御花は艶やかな紅に色が変わりました。本当に不思議なこともあるものだと想います。
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                                 血紅訪問着 薔薇に山鳥図
 

◇ 死したあるじのもとに帰りたい
    廃棄されるところだった襤褸ボロからの御便りと復活のペンテ!

《霊衣》……
 前述したように衣に宿っておられるのは、着物に袖を通しておられた御方の霊魂だけとは限りません。
 愛された着物には魂が宿ります。着物のあるじにたいする強い情愛や無念の思いなどが残り、私に訴えてこられることもございます。
 
 それは、ともすればボロ雑巾のような衣でした。

 京都の着物屋さんの棚の隅で、くしゃくしゃにまるめられた衣に何故か意識がむかいました。

「ああ、ごめんなさい。それは売り物じゃないんですよ。これから捨てるところで……」
  ……御店の御方は謝られ、すぐに片づけようとしました。

 私はそのボロボロの衣様から、捨てられていく哀しみにすすりなくような御声が聴こえて、「すみません」と御店の御方に頼み、それを購入させていただけませんかとお願いいたしました。

「こんなものはお売りできませんから、せっかくなのでお持ち帰りください」

 抱き締めるように持ち帰り、あらためて拡げてみれば
その衣は最上級の絹で織られていましたが、あちらこちらにシミや生地のヤケがありました。

 御声を掛けながら揉み洗いをしては乾かし、まだ残っていると再度洗い、最後は半乾きになったところでアイロンを掛けましたが、残念ながら薄いシミが残ってしまったので……その衣の御心のままに、シミに被せるように絵を描かせていただきました。

 画材はアクリル絵の具。こうした着物や帯に書画を描きあげるという手法は、ペンテと呼ばれます。絵の入った華やかな御着物に憧れながらも、貧しさのため、高値なものを購入することができなかった戦後の女性達の間で流行した知恵と工夫です。

 二時間掛けて悠々と天翔ける龍の雄姿を描きあげ、最後に神謡かみうたの一節を綴ると……霊衣たまごろも様が微笑んでおられるのを感じました。

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                     元襤褸衣 ペンテ リメイク訪問着 龍神図
                          ペンテ双龍図 喪帯  書画:旃檀   


 その晩のことです。チャネリングを経由して、衣様から御便りが届きました。
 全文をこちらに掲載させていただきます。




が身捨てられゆく
定めの汚れ衣なれど
  こふして天美てんび賜り 返り咲きたる慶びに打ち震ふております

白き繭の糸 織り紡ぎ 染めぬかれたあの頃は
   たいそう大切に扱われ
 芝居や茶席 祝いの席とあるじに纏ふて頂きました

戦後 間もなくのものが在らぬ時では御座いましたが
白米に麦混ぜてなお 手元に置きてくださりた
     わたくしにて御座いました


されど主 死して後 しちに回されて 
  親しみたる屋敷を離れ そしてまた買われ 売られ
何時の間にやら質草しちぐさの役にも立てぬ"汚れ衣"と成り果てました


もはやごみと追いやられ
  もはや終いと覚悟致しておりました 


人の暖かき愛着はわたくしのような襤褸にさえ
  心を吹き込むので御座いましょう

捜し捜した主の元へと これでよふやくに戻れます


年老いたる主は子も在らづ
 一人で死したよで
御座いますゆえ
        御側に参りとふ存じます


貴女さまの感じられた想いとは
わたくしのそのような 主を想う一念であったのやもしれません

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その想いを知して
再びに黄泉還よみがえらせて下さいましたる大恩……
    深ふ深ふ御礼申し上げそうろう


《 霊衣たまごろも 》

平成二十三年六月二十八日



 微力ではありますが、こうしてまた再びに衣様とそのあるじのご縁を繋ぐ一助となったのだと想いますと、私もたいへん喜ばしく存じあげます。

 こうしたご縁があるため、私は着物屋さんの敷居をあがらせていただくときには、まるでたくさんの霊人様と会いに伺わせていただくような心地になります。だから一礼。
膝をそろえ、手をついて、お辞儀をしてからあがらせて頂きます。

 耳に聞こえぬ声なれど、百の衣には百の人生と語らいがあって、私の心を穏やかに安堵させます。


 古いものには……衣に限らず、こうした御霊が御座されて魂生たまいきの御力がこめられているように感じられます。ほんとうに不思議な事ではありますが、
近年の使い捨ての時代と違い、あらゆる万象に畏敬の念を抱いていた日本人の真心がこうした御霊を寄せるのかもしれません。


  さて、
明日は持ち主様の霊魂が残った、とある婚礼の御着物の御話をさせていただきたいとおもいます。その御方から頂いた御手紙も掲載させていただきますので、引き続き、お読みいただければ幸甚で御座います。

 旃檀

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