昨日の「食」に続いて本日は《衣》の御話をさせていただきます。

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 私は日本の伝統美である着物に魅せられ、二十五年前から着物の蒐集および愛好家を続けております。

 幼い頃から着物に憧れがあった私は「四十歳を迎えたら着物を着たい」と思い続けていました。若い頃は銀行員に絵描きに料理屋と働きづめだったのもあって、着物という趣味に時間を取ることは夢のまた夢でしたが、丁度私が四十を迎えたとき、不思議なことに着物との縁が結ばれたのです。
 縁を担ってくれたのは、母親から譲り受けた昔着物でした。
 
 母が袖を通していた懐かしい着物に触れるうち、私は着物の浪漫に想いを馳せるようになりました。


◇ 着物はハレ着ではなかった!
 
 皆様は着物というと、どのような印象を持たれるでしょうか。
 
 華やかで。気品があって。祝い事のときに袖を通す……悪くいえば、堅苦しい。そう、着物といえば、特別な御祝いの式典の時にだけ着るもの、いわゆる"晴れ着"という印象が根づいてしまったのが日本の現状です。
 
 晴れ着の晴れとは《ハレの日》を指します。
《ハレ》と《ケ》は柳田邦男が提唱した概念で、《ハレ》は儀礼や祭事などの非日常、《ケ》は働いたり休んだりする普段の日常を指します。

 ですが、本来は着物とは《ハレ》の時にも 《ケ》の時にも絶えず、日本民族の暮らしの中にありました。
 いえ、《ケ》の時にこそ着物があった、といっても過言ではないでしょう。


 
現在、日本の日常に取りいれられているものは、そのほとんどが明治期に海外から流入してきた異国の文化です。
 服もまた、そのひとつ。
 着脱が便利で、かんたんに生産できる洋服の普及に押し流され、着物文化は衰退しました。着物を着つけられる日本人も今となっては少なくなりました。

 ですが袖を通してみれば、意外にも着物は楽です。私は着物を愛好するようになってからは、家事の御供にも着物を纏うようになりました。たすきを掛ければ、御料理も御掃除も軽やかに動けます。

 着物……そこには日本民族の《ケ》が宿っています。

 春夏秋冬の意匠を取りいれて、万物にたいする愛慕の念を表現する。これは偶像をもたず自然信仰であった日本民族の名残でもあります。昔から「花が盛りを迎えたときには同じ花の意匠のものは纏わない」というお約束があるのですが、これもまた万物にたいする敬愛のあらわれだと私は受け取っています。奥ゆかしい日本人の魂がその約束ひとつから感じられませんか。



◇ 
職人の魂

 着物をひとつ織って縫いあげるには、職人たちの技巧と膨大な時間が掛かります。それはまさしく職人の魂が篭った、と表現するにふさわしいものです。


 例えば
御召おめし
 植物などの染料をつかってひと糸ひと糸染められ、人の指で丁寧に織りあげられた先染めの紬や御召しの風あいからは人肌のような暖かさが感じられます。



 現在では希少とされる会津木綿あいづもめんは、かつて会津藩士の妻たちによる長い冬の唯一の収入源でもありました。外部には出荷できないくず糸を染め織り、反物となす技術は女性たちの地道な内職の賜物です。独特の暖かみがある布は後に希少なる素晴らしい伝統文化として珍重されました。

 新潟の十日町紬とうかまちつむぎもまたそうです。
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                               十日町紬  山水山郷風景図
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                               手織紬 

 または染色の技術……
昔は今のように科学染料がありませんでしたので、想った御色に染めあげるために先人は知恵を絞ったと想われます。

 紫 》はムラサキという植物の根で染めた《紫根染しこんぞめ

 着物の袖裡そでうら八掛はっかけや襦袢には紅花べにばなで染めた鮮やかな《 紅 》が使われました。これは 紅絹もみ といわれますが、濡れると表の生地にもしみだしてしまうため、いったん裏地を外してからでないと洗濯できないということで現在はつかわれなくなってしまいました。

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                             紫紺染 手描牡丹図 裡地 紅絹
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                                笹模様 正絹小紋 裡地 紅絹

 当時最も染めるのが難しかった御色が《  》です。
 実は自然界に緑の染料は存在しません。
 森の緑、草の緑、私達の目に映る自然の風景は緑で溢れています。それなのに、なぜ、とちょっと不思議なかんじがいたしますよね。
 でも
植物の緑というのは染料として用いるとかならず黄変してしまいます。


 ファッションの最先端であったヨーロッパでも、緑の生地が流通するようになったのは産業革命の後でした。貴族たちは初めてみる緑の美しさに魅入られました。ドレスや髪飾り等の身につけるものだけではなく、壁紙から家具まで競って緑を取り入れたそうです。まさに緑ラッシュですね。

 しかしながらその緑の染料の元となったのは"ヒ素"でした。
 髪飾りひとつで二十人の致死量の相当するヒ素が含まれ、多くの人が命の危険に晒されたそうです。

《緑》は希少で魅力的な御色でありながら、死と隣りあわせの色だったわけですね。


 さて、日本では先人の知恵により"緑青ろくしょうという銅の錆"をもちいて、《 》の絹が染められました。これがいわゆる《緑青染ろくしょうぞめ》といわれるものです。
 その後は藍と木肌きはだの樹皮の黄色をあわせて、緑が染められるようになったそうですが、緑青の緑ほど美しいものはないと私は感じております。

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                                 緑青染小紋 百年超経過

 そうして息をのむほどに鮮やかな大島紬の《
 沼田に沈殿する泥をつかんで、特殊な細工をした布に揉みこむことで泥の中にある鉄分が独特な褐色をなす。まさに土の芸術です。

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                              本場奄美大島 手織り泥大島紬
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                              本場機械織 白大島紬 雪郷風景画
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                                染大島紬 点描平安風景画DaW-9MoV4AAaHG9
                                染大島紬 点描平安風景画
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                                手織大島紬 椿模様
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                                 手織白大島紬 竹模様
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                                  機械織大島紬 二種
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                          手織紬に手描き風景画(珍品)

》地の絹に手書きで紋様や花々の意匠を描く京都や加賀で造られる友禅……これも見事なものですね。
 この時の下絵は、つゆ草からつくられる青花紙という絵具で描かれます。つゆ草の絵は水に濡れると消えてしまいますが、職人たちはその性質を逆手に取り、本染めが終わってから下絵を流すため友禅流しを行いました。
 現在は科学染料を使っているため、川を汚染してしまうということでイベントの一環として再現するだけになりましたが、川の流れに色とりどりの絹がそよぐさまは麗しきものです。
友禅流しと同じ手書きでも、濡れ描き染めや点描という独特の技法もございます。

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                            生成地 柳に鴛鴦 手描 作家物

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                                                               桜 野鳥図 手描 作家物
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                            竹に雀 手描 作家物


 布染めの技術はこうした天然の植物たちの力を借り、万象の麗を絹に映すように染められました。
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                                 草木染 証書つき

 京都北山杉染の紫はそのなかでも特に雅やかで、素晴らしいものです。
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                                 本草木杉染 無地 

 ですが、そうした職人の技も着物の衰退とともに失われはじめているのが現実です。

 衰退し、忘れられつつあるのは職人技だけではありません。
 蚕による蚕糸業もまた然りです。

 錦紗縮緬きんしゃちりめんという絹織物があります。現在の絹糸の1/6の細い生糸で織られる布で、しっとりと手に吸いつくような滑らかな質感は例えようがないほどです。自然の美しい艶がある細生糸ならではの薄地の絹はたくさんの人々を魅了しました。ですが、現在の蚕からはそのような細い糸は取れなくなり、幻の着物となってしまいました。

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                                 錦紗縮緬 橙に椿紋様

 そんな衰退し続ける日本の伝統を愁いて、チャネリングを通して、私のもとに宇宙からこのような御便りが届いております。





 
あ 僕はゼロだ

君の衣装は着物というものだと
  例によって 彼の御人ごじん(*1)が耳打ちした

冬はとても暖かく 暑い時期はとても涼しいらしく
 四季のあるヤマトの風土にとても合ったものらしい

いろんな華の絵やヤマトの紋様が描かれた衣装は
    僕のにもとても美しく感じた

それはヤマトの文化の代表ともいえる芸術らしいけど
  ヤマト魂のスイタイとともに徐々にすたれていったものらしい

異国文化の流入が便利や簡単!
   といった怠惰を産みだしたかららしい


だけど本当に大切なものは
 即席インスタントで作れるものじゃない


すべての万象はめぐるときのなかで
 ひとつずつ順を追って育まれるし
     その為の努力を日夜重
ねている

それは百年前と何ひとつ変わらないサイクルだし
    自然の文化ともいえるだろう


インスタントに創造された植物はとても弱くいびつ
     そして哀しい

それらは作為的な色に染められ
  季節外れの華をつける


それらは生産というベルトコンベアに乗せられ
     大量に売り買いされる


まるで命の大安売りだ


人の魂もまた 君達の世界の
 ときというベルトコンベアに乗せられ……
    ……気がつけば廃棄寸前だ


全く人類という奴は哀しい!

大量繁殖のワケはどうやらそのあたりにあるようだ


僕達は自らの文化を愛し 守り
    育んで生きている


固執しているんじゃなく
 魂の中に流れるそれぞれの血を大切にしているんだ

麦の穂から豆が取れないように
   それもまた自然そのものなんだ



失ってしまうのは簡単だけど
      取りもどすのは大変だ

"ヤマト" の血は特にそうらしい


神々と一番近いところに存在った
 エネルギーの高いところだから……特にそうらしい


君はそうしてそんな想いを抱いたたくさんの霊魂ソウルを抱え
        今日も生きているんだろう

だからきっと この一番寒い時勢を
   暖かく過ごせるのかもしれないね



彼の御人は……相変わらずさ

 今日も口笛を吹いて鳥達を呼び
   君の創った御酒をさげて 笑っている


僕達も本当に
 時に挫けそうに(笑)なるけれど
  彼の御人をみていると なんだか元気が湧いてくる

とても物知りで とても長く生きた方のようだ
    そして笑顔が君に似ている!


追伸

 あっ それと帯は"産霊むすび"の象徴とも言っていた
   ヤマトの人達はそれをとても大切にしたらしいね
      それじゃあ また


《 ゼロ 》

平成二十二年一月十七日

(*1) 彼の御人
 八又の翁様のことです




   染める。縒る。織る。描く。
 加えて手作業による裁断と魂を吹きこむようなひと針ごとの裁縫を経て、ようやくに着物が仕上がります。
 着物ひとつにどれほどの魂が篭められていたのか。
 職人たちの情熱で創りあげられた着物は、まさに日本が誇る最高の芸術です。

 こうして時間を掛けて創りあげられた着物は、現在の服とは違い、大事に扱えば百年の命が与えられます。計算すれば、大正末期の着物の命の節目がちょうど今にあたるということになります。
 百年の寿命というのは、私達人間の寿命とも重なりますね。



◇ 衣とは如何なるものか 


 《衣》……

 昔から衣とは身にまとうのみならず、魂の依るものでもあると考えられてきました。
 依るとは依りしろになる。つまりは魂が篭るということでもあります。その後中国では衣を通して霊を継承するという思想が産まれました。
 襲名や世襲という「襲」に衣という漢字が含まれているのも、末裔や血裔にもちいられる「裔」に衣が組みこまれているのもそのためです。

 そして……
 
 
《帯》……


 着物にかならず結ぶ《帯》もまた「霊力を帯びる」という言葉を連想させますね。
 宇宙謡でも触れられていましたが、結ぶ《帯》とは「産霊」すなわち万物を完成させる神の御力の象徴でもあります。
 あらゆるものは結ぶことで成りたちます。人と人の縁も然り。
そのため、嫁入りの際には帯を掲げて嫁入りをするという地域もあるそうです。


 つまり衣は魂の依りしろとなるわけです。
 先程、着物の寿命と人の寿命は等しいと書きました。


 人間もまた、魂の器……《》ともいえるわけですね。


 即席インスタントでは織りなすことのできない着物と、即席インスタントでは何も得ることのできない人の人生……ここにも重なる部分があります。世相は利便を欲し、即席インスタントへと加速し流れ続けていきますが、それはかたちを為しても何処か歪で壊れやすいもの。

 私達が与えられた、たったひとつの命……
 自分だけの御色に染め、ひと糸ひと糸縒りなして、《ケ》の時を弛みなく努力の時を重ねて織りなせば、いつか《ハレ》を迎えたとき、ふたつとない素晴らしき命となるのでございましょう。


 たかだ百年の命。されど百年の命。
 日本の誇るべき伝統芸術である着物に倣って、天の風にそよぎ、舞いあがる羽衣ういのような命となしたいものでございますね。
 
 明日も引き続き、着物について語らせていただきます。
 廃棄処分になるところだった襤褸を貰い受け、ペンテによってよみがえらせたところ、御着物から御手紙を賜った……という不思議な御話です。
 どうぞお楽しみに……!


 旃檀

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